鵜の木に住んでいるといったら、「鵜の木ですか!あそこ映画館
があったでしょう。
学生のころ時々行ったんですよ。」と、ある人が。
わたしが引越してきた時、そこは駐車場だった。
そして今は整形外科の病院だ。
この映画館のことを昔鵜の木の近くに住んでいたという
この人がブログに書いていた。
→成人映画の鵜の木安楽座 --- リンク切れ
ふーん、そんな時代があったんだ。
そして3丁目を自転車でぶらぶらしていると、
古い家の外壁になにやら不自然に板が貼られ、文字のような・・・
消えかけた赤い文字で □ 安 楽 座 。

たぶんここに上映される映画のポスターなどが貼られていたのだろうか。
家はだいぶ古そうなので、そう遠くないうちに立て替えかな。
初めまして、ブログ拝見させて頂きました。鵜の木の地元出身の者です。鵜の木に安楽座が在った事は幼少の記憶で覚えております。ですがネットを調べても当時の写真などは、さすがに残っていないようで 少し残念です。突然ですがブログの安楽座と思われる看板は どの辺りの場所だったのでしょうか?7年も前ですがまだ残っていますか?教えて頂けたら幸いです。
返信削除現在、森山整形外科がある場所です。小学生の頃、うちの家のすぐ前にもポスターが掲示されていました。ピンク映画で、文字だけのポスターのように記憶していますが、子供ながらに微妙な記憶が残っています(笑)
返信削除向かいにパチンコ屋とか、あぁ懐かしい・・・
返信削除今から40年ほど前にあったはずです。当時大学生で軟式野球の同好会に入っていました。鵜の木から歩いていける河川敷のグランドで練習、試合をしていました。
返信削除さすがに映画館に行ったことはありませんが、
ロマンポルノ系じゃなかったかと思います。
鵜の木にはそれ以来行ったことがありません。
87年ごろ、行った覚えが有ります
返信削除中学生時代、鵜の木界隈も学区内だった為、鵜の木に住む友人が何人も居た事から気になるランドマーク!?でした。
返信削除ジロジロ見ていると「交番の警官に逮捕され、学校に通報される」という、いかにも中学生らしい噂があり
自転車で通る際は目を逸らして通る程でした。
駅と安楽座の間の細い路地側にも看板と入口があったはずです。
私がよく覚えているのは「美保純」の文字で、なんせアイドル級の扱いでしたからね。
あともう一人は「可愛かずみ」です。
その当時の駅周辺は木造の店舗や店舗兼住宅がひしめき合っており、猥雑な雰囲気もあり、いかにも昭和な雰囲気に満ち溢れていました。
昭和32年まで鵜の木と沼部の中間点に住んでいました。
返信削除その頃の安楽座はピンク映画館ではありませんでした。
記憶では、市川歌右衛門主演の「旗本退屈男・東映」を見たことがあります。
当時、日本中のどこの街にもある邦画2本立て・3本立ての3番館でした。
昭和50年代後半、バイトで車を運転し、多摩堤通りを丸子橋に向かって進み、鵜の木駅近くの信号に引っかかると、助手席側の電柱にポルノ映画のポスターが貼ってあるのが見え、こんな場所にポルノ映画?と思ってましたが、21世紀になり、品川区内の居酒屋で鵜の木から来たという人がいて、鵜の木と言えばと、ポスターを見た話をしたら、そこは24時間営業していたと聞き、第二京浜の池上3の信号のところにあり、今は、赤と黒のすごいカラーリングのパチンコ&スロットの店に変わってしまった世界最大トーヨーボウルが24時間営業していたと聞いたとき以上の衝撃でした。
返信削除鵜の木は地元でした。駅のすぐそばにあり、小さい頃、祖母と一緒に美空ひばりの映画をよく観に行きました。怪獣映画も観たっけ。ゴジラシリーズやサンダ対ガイラとか。小さい映画館て少なくなりましたよね。少し寂しいですね。
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